東日本大震災・福島原発問題

2016年9月30日 (金)

福島出身のアーティスト

2015

福島出身のアーティストが地元に帰って公演するようになったのってみーんな!震災後じゃねえかよ。それまではガン無視じゃねえかよ。田舎キライだったんだろ?なんか偽善的。

08-15 21:26

2015年7月27日 (月)

さて、平和(東日本大震災絡み)

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11865041694.html
人類史はじまって以来、空前ともいってよいほどの平和を享受している我々がさ、戦争のない平和な時代をのぞみます、なんつったところで全く説得力がないらしい。

アフガンやイスラエルの子供たちが平和を希求する(街では常に弾丸が飛び交う可能性があるようなところに住んでいる)のであれば、すごく心にしみいる。

というわけで、我々日本人、の中の庶民の平和への願いっていうのは、ほとんど黙殺されてきた。
にもかかわらず戦後66年という驚異的な長い間、平和が維持されてきたという事実を、俺たちはどう受け止めたらいいのだろう?

たとえば、再軍備反対と庶民が声をあげて、それとは真反対に自衛隊の軍としての質が上がっていったことにより日本の周囲が守られているという現実。

庶民こそが政治、官僚から「口だけ番長」と小馬鹿にされているんだ。

ところで、結局日本は「第二の鎖国」をしてるよねえ?
新しいタイプの鎖国。戦勝国に守ってもらうという屈辱の鎖国。それにより実現されるミラクル・ピース。

平和ボケした日本の愚民が平和平和いってもまったく説得力がなかったのであれば、この大震災を経験した後はどうよ。ちったあ説得力持つんじゃねえの、世界に対して。
特に原発とか。

も一回いうけど、俺たち平和ボケした日本の愚民は、さんざん、暗に「小馬鹿にされてきた」んだよ。という意味でホントに、も少しインテリジェンスを身につけて、立ち上がらないと。

2015年7月21日 (火)

(オレの発言じゃないけど)「家が津波で流されたわけでもあるまいし被災者ぶるな」とか

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11861783470.html
AKBの岩田さん?だったっけ仙台出身の。その子を中傷するバカのコメントの中にね、家が津波で流されたわけでもあるまいし被災者ぶるな、とかさ。

そういうヤツは「死ねばいいのに」レベルでOKなんだが、でもあらためて思ったのはね、ああ、そういうヤツが、震災を風化させてんだなって、確信したわけ。
つまり。。

ただのバカな傍観者がね、最弱者のみ擁護して、弱者(ふつうの)が弱者ぶるのをバッシングするわけ。
日本人のうち90%以上はただの傍観者だよな。

被災者は、その被災の程度が軽度であれ重度であれ、ただのバカな傍観者に対岸からあーだこうだ論評されたかないわな。

でね、そのバカどもが東京とか大阪であーだこうだいってんのを見て、被災地の人たち(被災者とはいってない)はホンキで「絶望」したんだと思うんだよ。

絶望した結果として、まず「弱者」(最弱者ではない)が、最初に「いちぬーけた」したよね。
つまりね、「風化」に積極的に加担するようになったということ。「もう忘れようよ?」ってね。
だってさ、バカらしいじゃん?

なんか。。書いてて、悲しい構図だよねこれ。
結果的に「風化」を促してんのは大都市圏で(対岸で)あーだこうだ論評しているバカな傍観者どもなんだよ。
それにしても弱者に対して「最弱者ぶるな」はもはや私刑だよねそれ。

問題の元凶は、日本に根強く巣食う「傍観者」たちであることははっきりした。
あのね、はっきりいうけど吠えるだけの傍観者って東電よりワルいからね。黙ってくれてりゃいいけど。
てめえらに東電をバッシングする資格なぞ、ないぞ。

2015年7月20日 (月)

嬉々として被災地観光してくるんじゃねえよ。

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11861781264.html
そうか、みんないって思考停止してるのか。だから復興が進まない(と感じられる)のだな。

俺は被災地「観光」になぞ、いってない。

それが何か?

複数のバカなヤツらが、この1年で被災地「観光」にいき、嬉々として職場で報告していた。
曰く「人生変わるよ」「いっぺん見といたほうがいいよ」と。

被災地「観光」は、トレンドだった。

「いっぺん見といたほうがいいよ」っていうのは、「旬なうちに!」という意味を含む。瓦礫が撤去されてきれいになってしまう前に、「期間限定観光地」にいっとけよ、と。
行ったやつは、トレンドの観光地にいけて、得意げだ。

ふつうの観光地にいったときの自慢話と違うのは、それが、若干「ひそひそ話」になっていることだ。

俺はね、こういうヤツらをみて。。(以下、昨日と同じ文章)

「あーこいつら愚民はホント、3.11から何も進化しねえまま、1年を迎えるんだな、日本って足踏みしたまんま何も変わってねえな、愚民は政治ばっかり非難して自分たちはまったく進歩しようとしてねえな」と、直感した。

俺は4/28だったかに大渋滞の中、福島に帰省したし、数回福島・仙台にいっているので、被災地「観光」するチャンスはいくらでもあった。

実際、親戚から、酔った席で「南相馬でもいってみっか?」とか誘われたけど、断った。
(※南相馬ってのは津波で甚大な被害を受けた被災地)

断るのが、ごくノーマルなスタンスだと思う。

でもね、被災地をこの目で見てみたいと思ったこともあるんだけど、それはね、たぶん、焦りだった。
だって被災地となーんの関係もない人たちがどんどん被災地に入って、この目で見たよ!と報告してくる。キャンプセット一式を持って被災地にはいり、偽善・自己満足のボランティアをして、嬉々として満足気に帰ってくる。「俺(アタシ)はやったぞ」「被災者を助けたぞ」と。

そういう、何の関係もない、東北に対して他人ごとなヤツらがそういう行動を起こしているのに、この俺(被災地とかなり関連性がある)は東京でじっとしている。
この状況というのは、なんだろう?と。

でもまあ、その感情は、安易に被災地に入って自己満足の行動をしてくるヤツらのほうがバカなんだ、俺は正しい、という「整理」が俺のなかでついたので、おさまった。

仕事で、被災地のライフラインを復旧させにいった人たちがいた。そういう人たちは、帰ってきてもけっこう黙ってた。まあ仕事だから、聞かれれば答えるんだけど。。
これこそが本当のスタンス、被災地との向き合い方だろうが。見てしまった者は、自分で抱え込まなきゃならないんだ。
それを、わからんのか?

俺はとにかく、安易に被災地「観光」にいき、嬉々として報告してくるヤツらよりも、数十倍、考えた。考えたけど、結果は出ていない。
被災地「観光」にいったヤツらは、いったということで満足してそこで一旦「整理」して思考を停止している。思考を続けることが苦しいから、一旦整理したいから、被災地「観光」にいくのだ。

思考を一旦やめたいから行動する、っていうのが、とてつもなく愚かなんだよ。

2015年7月19日 (日)

人の不幸を嬉々としてシェアするんじゃねえよ。【3.11特別寄稿w】

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11857916650.html
まず、自分のスペック。

Fukushima県福島市出身。両親は、線量の高いところで余生を過ごしている。余生が大変なことになってしまった。
俺は、高校を出てからずっと首都圏。震災前は田舎への帰省なんてほとんどなおざり。子供ができてやっとまともに盆暮れ帰るようになった程度。それも目的は、孫の顔を見せるため(だけ)。

震災後はほとんどの福島県人と同様、まともにふるさとのことを考えるようになり、また、まめに日帰りや一泊で帰省している。いろいろあるので。

さて本題。俺の強い思い、念みたいなもんが、このブログを実質何人の方が読んでいるのかしらないけど、たとえ一人にでも「真実」として、曲げられることなく伝わればいいなあと思う。やっと、1年も経って、書けるようになったんだよ。

きっかけは、つい最近、たくさんの人が震災で死んだ17歳の女子が携帯に残したパパ宛の遺書をFacebookでシェアしていて、それを目の当たりにしたこと。

その遺書は確かに、ぐっと俺の心をわしづかみにするものだよ。俺も子供いるし。

で もな、俺は、あの文書をたくさんの人間が嬉々として「シェア」しているのをみて、「あーこいつら愚民はホント、3.11から何も進化しねえまま、1年を迎 えるんだな、日本って足踏みしたまんま何も変わってねえな、愚民は政治ばっかり非難して自分たちはまったく進歩しようとしてねえな」と、直感した。

福島県人も宮城県人も岩手県人も、被災者も東京に住んでるヤツも、同じように嬉々としてシェアしている。

シェアして何がそんなに嬉しいんだ? 自分が「嬉々として」シェアしていることすら、気づいていないんだろうが。

なぜそんなに「知ってほしい」んだ?

特に被災地側の人たち。「震災を忘れないでほしい」という一念かい? それは何だ?あわれみをかけてほしいのか?

東京に住んでるヤツとか、被災しなかったヤツらは、なぜあれをシェアするのだ? 善人気取りか? 被災してねえくせに「自分は忘れない(忘れてない)」ことをアピールしてるのか?

それとな、何で被災関連だったらシェアを許されるんだ? 被災と関係ない「事件」だったらそんなに垂れ流すもんじゃねえだろ、人の遺書をねずみ講みてえにシェアしてゆくかよ。

あー書いてて腹たってきた。結論:人の不幸を嬉々としてシェアするんじゃねえよ。どいつもこいつも。
震災だからって何もかもが許されるわけはねえぞ。

「もっと多くの人に認識してほしい」と? で、それはなぜ? なぜ押し付けられなければならんの?

「東日本大震災」っていう「事象」はほぼ国民全員が「認識」してんじゃねえの? なぜ国民相互がこれ以上傷口に塩を塗りこむようなことを互いにするのだ?

「善意の隠れ蓑」っていうのはホントズルいし、キタナいし、巧妙だ。

2015年3月 1日 (日)

[怒]イルミに浮かれてるヤツら

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11721591768.html
イルミネーションってあれ電気喰うだろ、ふつうに考えたら。
なんであれにメス入らないんだ?

オマエらな、ああいうところから「やっぱり原発は必要だろ」って話になっていくんだぞ。
それに気付かないのか?

東電管轄の関東とかでは、なんで家庭では節電を強要され、イルミネーションに人が群がるんだ?
納得いかない。絶対。イルミネーションに群がるヤツらの品位を疑う。

てめえら、原発反対なんていうなよ金輪際!!!

あのバカども、原発再稼働しないと都内のイルミネーションはすべて消えます、と東電から脅されたら、なんか悩みそうじゃん? うーん、やっぱり火力だけじゃダメだめかも、って(嗤


以上、福島出身東京在住男子のレポートでした。

2015年2月18日 (水)

もう遅いんじゃねえの?と(「被災地に寄り添う」)

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11379087981.html
被災地に「寄り添う」っつってもなあ。「寄り添う」ってなんか、流行ってんの?

オレは、もう遅いじゃねえの? と思ってるよ。つまりね、たとえばオレが被災者だとしたら、3.11に発生して、遅くとも2011のゴールデンウイークぐらいまでに、何らかの直接的な「ほどこし」をした人間でないと、被災者は信用してくれないと思う。実際に行った、とか。

それが、ごくふつうの被災者でしょ。

何年たっても忘れません、ずっと寄り添っていきます、とか対岸で叫んでも、ねえ。それってただの自己満足だよな。

という意味では自衛隊っていうのは確固たる地位を確立してるよね。

2015年1月19日 (月)

安全圏からべき論をほざくヤツらは、ますます嫌われている。震災以降。

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11390579083.html
ぐだぐだいってないで、何か行動を起こそうよ、ということになってきている。それが趨勢になってきている。

この動きは、まず、評価しようよ。第一段階として、だけどね。

家でのうのうとテレビをみてネットをみてツイッターをながめて、ヴァーチャルな世界(というある意味究極の安全圏)でちょっとウヨクがかったべき論を「舌鋒鋭く」(笑)発信しているバカどもに、オレら影響されすぎだったんだ。そういう言説に若干動揺しちゃったりさ。

そんなヤツらはカンゼン無視、どころか逆襲して大反撃してやりゃいい。結局そういうヤツらは死ぬまで何もできないし死ぬまで愚民だし。
愚民のくせに正論吐くもんだから、その正論に対する反論ができなかった。。今までは。

でも、「行動してないじゃん」という反論が、今はできる。今までよりも強く。

あのね、そんなヤツらの言論なんて封鎖しちゃえばいいんだよ。言論の自由を逆手にとるずる賢いバカは自由を剥奪すればいい。

言論の自由って「なんでも垂れ流していい」ってことじゃない。

。。え? それはオレ?www
バレたか。。

ま、そう思われてもいいけど。でもオレには、過去10年以上にわたって「行動」してきた蓄積が、「なくはない」。
オレはずっと現場で、対岸、すなわち安全圏にはいなかった。つーかね、いられなかった。安全圏から追い出された。という意味で若干根に持ってるけどw

2015年1月17日 (土)

[重要]超・重要 この時代にもっとも反体制的な考え方w(3)

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11379412343.html
なんか最近思ったんだけどさ。。(それが、この論を書こうと思ったトリガかもしれない)

それなりに中流の暮しをしてきたオレ(ら)に対して「もっとカワイソウなヒトタチガイル!」と吹聴してまわるバカども(テレビ)のせいで、感化されてしまって、まんまとオレの人生もいっかいカワイソウになったとするわな。

それ、どうしてくれんの? オレの人生がいっかいどん底に落ちたのはそいつらのせいじゃないの?

という問いかけは、無意味なんだが。。
なぜなら、オレがたとえばプライベートでどんなにどん底であろうとも、「カンボジアの難民はモットカワイソウ!」は変わらないから。この豊かな国、ニッポンにいる限り、この国にとどまって不幸なうちは、「発展途上国をみよ!」論理は適用されてしまう。

死ななければならないということだ。
そして日本は3万人が自殺する。まんまとそのバカどもの策略にハマって。

バカラシすぎる。3万人を自殺させといて、そのバカどもはまったく罪に問われない。
そのうしろには、100万人ぐらい、精神的な疾患になっているヒトがいるのかもしれない。

あらためていうが、日本人は身内のバカどもに足を引っ張られっぱなしなんだよ。

オレが(先進国における)不幸でいた頃、誰か気にかけてくれたか? ていうかオレが不幸だったことを知ってるか? 
誰も知らない。誰も気にかけてくれない。誰もが他の足を引っ張ることでいっぱいいっぱい。
嬉々として他人の足を引っ張り続けている。無限ループで。

オ レは1.5年前、周りのヒトたちと同様に、自分のことについてたくさんたくさん考えた。胃がいたくなるぐらい考えた。福島出身のオレは、田舎に残っている オレの親戚の不幸についてたくさん考えた。それに比べて東京に住んでいるオレはなんとのうのうと暮らしていることよ、と。

オレとオレの家族は「誤差の範囲」で、胃がいたくなったり、身体に不調をきたしたり、ちょっと不幸になった。

ごくノーマルな思考をもつ人たちは寝袋かついでゴールデンウイークにボランティアにいった。不幸になりにいった。周りが同調圧力で、不幸になれなれなれなれと脅したからだ。
多くの東京在住の彼らは被災地の光景を見、「誤差の範囲で」トラウマを抱えて帰ってきた。
あろうことか、自分の子供を連れていったヒトも多数いる。
家族で「誤差の範囲で」不幸になりにいった。

もちろんオレもゴールデンウイークに田舎に帰った。マシンガントークで親戚の愚痴をきかされた。その愚痴をきかされてオレも胃がいたくなった。親戚はオレの胃を攻撃しなければ気が済まない感じだった。

オレはそんなことはなかったが、早い段階で(興味本位で)被災地の光景をみにいった東京以西の愚民どもは、被災地をみた瞬間にある種のエヴァンジェリストになり、自分の家なり職場に帰って「布教活動」を始めた。「オマエもみにいったほうがいい!人生かわるから」と。

みにいくことを被災地側も望んだ。「一緒に不幸になろうぜ」と。そしてまんまと日本全体がダウナーになっていった。

そういえばオレはムカシから、「弱者強者」がダイキライだった。
ということを思い出した。「弱者強者」は攻撃しずらい。あいつらを攻撃するには策略が必要だ。

そういえばオレはムカシから、テレビがダイキライだった。
テレビは日本人を不幸にする。よけいな番組はみない。

オレはオレ自身と家族と親戚とその周辺と、ごく一部を幸せにすべく、毎日忙しいんだ。「オマエらバカども」にかまってられるか。

オレは福島出身だが、オレと被災地とは関係ない。
同じ日本人? だからどうした、オレの足を引っ張る、オレを不幸に陥れようとする日本人となんで連帯しなきゃならんのだ?

場合によってはオレはオレを幸せにしてくれそうであれば、ポジティブに、一緒に引き上がってゆけそうであれば、ガイジンとだって連帯するぜ。反日教育してる国はイヤだけどな。

2014年12月30日 (火)

201310/03のツイートまとめ

stevengerrardjp

 よく日本人は怒りを忘れてしまうとかいわれるんだけどさ、人間って忘れる生き物だろ? 忘れて何がわりーんだって開き直りたくなる。被災地や福島から東京に「てめえら、おぼえとけよ(震災を風化させんなよ)」っていつもニラミきかされてるような気がすんだよね。

    10-03 13:04

 庶民が、日常生活でいっぱいいっぱいになって被災地に「寄り添う」(あんまり好きじゃねえな、この言葉)のを怠ったとしたらそれだけで人非人なのか? ふつうに暮している人間を人非人と断定する権利は被災地の人にすらねえだろよ。

    10-03 13:04

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