« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2015年7月

2015年7月28日 (火)

オタクがでっかくなっただけ

http://blog.goo.ne.jp/strikegold/e/01de2ef04b81ba4421466b6ded9ae377
オタクがでっかくなっただけ、みたいな。
IT業界という集団では、ゼッタイに世の中を変えてゆくことはできない。

断言してもいい。

なんかさ、システムエンジニアとかって調子こいて世の中変えようとするじゃん?自分の得意分野のシステムでさ。
でもオマエ。。それってユーザのニーズにあわせてつくってるだけじゃんよ。。
つまり手柄はユーザだっつの。オマエなぞ縁の下のちから持ちですらないわ。
なぜなら手柄その2はプライムベンダがごそっと持っていくからだ。

オタクがでっかくなっただけだから、妄想ばかりが逞しいわけね。妄想力ならNo1かもなw
でも妄想では世の中変わんねーから。アイツら、妄想で世の中変えられると思ってるから、だめなんだよ。

必要なのって知ってる?「実行力」だって! テメーらがもっとも!回避したいと願う「力」だ!
「実行」っつのはめんどくせーことなんだよ。でもそれを成し遂げるヤツらが世の中を変えられる。

あとさあ。。妄想力が逞しい弊害がね、選民意識!ね。オタクがでっかくなったヤツらってホント、選民意識がヒドくて。。
もうどうしようもない。

選民意識がヒドすぎるから、社会の歯車に甘んじることなぞゼッタイにできない。
いや、手を動かすことはできるだろう。だって社会の歯車ってルーティンだからね。でも、社会の歯車に「甘んじきる」ことができんのだ。結果的に、死ぬまで「社会の歯車」だったとしても、だよ。
一生ずっと「自分はもう少し出世するはずだった」とか思いながら生き、死んでいくんだよ? そんな人生死ぬほどイヤだな。

あ、そうそう!あの、タチが悪いのがさ「夢」ってやつ!
妄想と夢ってけっこう親和性高くてな。。

妄想はたらかせながら、夢をあきらめられずに追いかけ続けるバカがいる。。オマエにはムリなのに!!
こういうヤツって日本経済にとっては相当なマイナスなんだよな。

2015年7月27日 (月)

さて、平和(東日本大震災絡み)

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11865041694.html
人類史はじまって以来、空前ともいってよいほどの平和を享受している我々がさ、戦争のない平和な時代をのぞみます、なんつったところで全く説得力がないらしい。

アフガンやイスラエルの子供たちが平和を希求する(街では常に弾丸が飛び交う可能性があるようなところに住んでいる)のであれば、すごく心にしみいる。

というわけで、我々日本人、の中の庶民の平和への願いっていうのは、ほとんど黙殺されてきた。
にもかかわらず戦後66年という驚異的な長い間、平和が維持されてきたという事実を、俺たちはどう受け止めたらいいのだろう?

たとえば、再軍備反対と庶民が声をあげて、それとは真反対に自衛隊の軍としての質が上がっていったことにより日本の周囲が守られているという現実。

庶民こそが政治、官僚から「口だけ番長」と小馬鹿にされているんだ。

ところで、結局日本は「第二の鎖国」をしてるよねえ?
新しいタイプの鎖国。戦勝国に守ってもらうという屈辱の鎖国。それにより実現されるミラクル・ピース。

平和ボケした日本の愚民が平和平和いってもまったく説得力がなかったのであれば、この大震災を経験した後はどうよ。ちったあ説得力持つんじゃねえの、世界に対して。
特に原発とか。

も一回いうけど、俺たち平和ボケした日本の愚民は、さんざん、暗に「小馬鹿にされてきた」んだよ。という意味でホントに、も少しインテリジェンスを身につけて、立ち上がらないと。

2015年7月26日 (日)

ちょっとカジってすぐセミナー化

http://blog.goo.ne.jp/strikegold/e/0f1f681303e34b2881018dca7f9ff7fd
(20140619)
ちょっとカジってすぐセミナー化って流れがある。

本当のプロが、講師になりずらい(その道に忙しすぎるから)のをいいことに、講師業のプロがちょっとだけナレッジをかじってすぐセミナーテキストへと落としこんでしまう。
まあ、そりゃプロだからね。うわっつらの知識を会費3万の半日セミナーに落としこむのはカンタンだろう。

それと、そういうセミナーを生業にしているちっちゃい会社にしてみたら、ヒッシだよな。それで飯くってんだから。
年寄り向けの生涯学習の講座数が異常に多いのと根っこは同じだな。

でもオレはホントのプロの話を聞きたい。
という意味では逆張りすればいい。「そういうセミナー」は本物の話は聞けない、と決めてかかってよい。

そういうセミナーにくるヤツって、本気でその話を聞きたいわけじゃなくて、何かしらのノウハウ(上っ面のさらに上っ面)をかすめとりにきてるだけのような気がするぞ。

2015年7月21日 (火)

(オレの発言じゃないけど)「家が津波で流されたわけでもあるまいし被災者ぶるな」とか

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11861783470.html
AKBの岩田さん?だったっけ仙台出身の。その子を中傷するバカのコメントの中にね、家が津波で流されたわけでもあるまいし被災者ぶるな、とかさ。

そういうヤツは「死ねばいいのに」レベルでOKなんだが、でもあらためて思ったのはね、ああ、そういうヤツが、震災を風化させてんだなって、確信したわけ。
つまり。。

ただのバカな傍観者がね、最弱者のみ擁護して、弱者(ふつうの)が弱者ぶるのをバッシングするわけ。
日本人のうち90%以上はただの傍観者だよな。

被災者は、その被災の程度が軽度であれ重度であれ、ただのバカな傍観者に対岸からあーだこうだ論評されたかないわな。

でね、そのバカどもが東京とか大阪であーだこうだいってんのを見て、被災地の人たち(被災者とはいってない)はホンキで「絶望」したんだと思うんだよ。

絶望した結果として、まず「弱者」(最弱者ではない)が、最初に「いちぬーけた」したよね。
つまりね、「風化」に積極的に加担するようになったということ。「もう忘れようよ?」ってね。
だってさ、バカらしいじゃん?

なんか。。書いてて、悲しい構図だよねこれ。
結果的に「風化」を促してんのは大都市圏で(対岸で)あーだこうだ論評しているバカな傍観者どもなんだよ。
それにしても弱者に対して「最弱者ぶるな」はもはや私刑だよねそれ。

問題の元凶は、日本に根強く巣食う「傍観者」たちであることははっきりした。
あのね、はっきりいうけど吠えるだけの傍観者って東電よりワルいからね。黙ってくれてりゃいいけど。
てめえらに東電をバッシングする資格なぞ、ないぞ。

2015年7月20日 (月)

嬉々として被災地観光してくるんじゃねえよ。

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11861781264.html
そうか、みんないって思考停止してるのか。だから復興が進まない(と感じられる)のだな。

俺は被災地「観光」になぞ、いってない。

それが何か?

複数のバカなヤツらが、この1年で被災地「観光」にいき、嬉々として職場で報告していた。
曰く「人生変わるよ」「いっぺん見といたほうがいいよ」と。

被災地「観光」は、トレンドだった。

「いっぺん見といたほうがいいよ」っていうのは、「旬なうちに!」という意味を含む。瓦礫が撤去されてきれいになってしまう前に、「期間限定観光地」にいっとけよ、と。
行ったやつは、トレンドの観光地にいけて、得意げだ。

ふつうの観光地にいったときの自慢話と違うのは、それが、若干「ひそひそ話」になっていることだ。

俺はね、こういうヤツらをみて。。(以下、昨日と同じ文章)

「あーこいつら愚民はホント、3.11から何も進化しねえまま、1年を迎えるんだな、日本って足踏みしたまんま何も変わってねえな、愚民は政治ばっかり非難して自分たちはまったく進歩しようとしてねえな」と、直感した。

俺は4/28だったかに大渋滞の中、福島に帰省したし、数回福島・仙台にいっているので、被災地「観光」するチャンスはいくらでもあった。

実際、親戚から、酔った席で「南相馬でもいってみっか?」とか誘われたけど、断った。
(※南相馬ってのは津波で甚大な被害を受けた被災地)

断るのが、ごくノーマルなスタンスだと思う。

でもね、被災地をこの目で見てみたいと思ったこともあるんだけど、それはね、たぶん、焦りだった。
だって被災地となーんの関係もない人たちがどんどん被災地に入って、この目で見たよ!と報告してくる。キャンプセット一式を持って被災地にはいり、偽善・自己満足のボランティアをして、嬉々として満足気に帰ってくる。「俺(アタシ)はやったぞ」「被災者を助けたぞ」と。

そういう、何の関係もない、東北に対して他人ごとなヤツらがそういう行動を起こしているのに、この俺(被災地とかなり関連性がある)は東京でじっとしている。
この状況というのは、なんだろう?と。

でもまあ、その感情は、安易に被災地に入って自己満足の行動をしてくるヤツらのほうがバカなんだ、俺は正しい、という「整理」が俺のなかでついたので、おさまった。

仕事で、被災地のライフラインを復旧させにいった人たちがいた。そういう人たちは、帰ってきてもけっこう黙ってた。まあ仕事だから、聞かれれば答えるんだけど。。
これこそが本当のスタンス、被災地との向き合い方だろうが。見てしまった者は、自分で抱え込まなきゃならないんだ。
それを、わからんのか?

俺はとにかく、安易に被災地「観光」にいき、嬉々として報告してくるヤツらよりも、数十倍、考えた。考えたけど、結果は出ていない。
被災地「観光」にいったヤツらは、いったということで満足してそこで一旦「整理」して思考を停止している。思考を続けることが苦しいから、一旦整理したいから、被災地「観光」にいくのだ。

思考を一旦やめたいから行動する、っていうのが、とてつもなく愚かなんだよ。

2015年7月19日 (日)

人の不幸を嬉々としてシェアするんじゃねえよ。【3.11特別寄稿w】

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11857916650.html
まず、自分のスペック。

Fukushima県福島市出身。両親は、線量の高いところで余生を過ごしている。余生が大変なことになってしまった。
俺は、高校を出てからずっと首都圏。震災前は田舎への帰省なんてほとんどなおざり。子供ができてやっとまともに盆暮れ帰るようになった程度。それも目的は、孫の顔を見せるため(だけ)。

震災後はほとんどの福島県人と同様、まともにふるさとのことを考えるようになり、また、まめに日帰りや一泊で帰省している。いろいろあるので。

さて本題。俺の強い思い、念みたいなもんが、このブログを実質何人の方が読んでいるのかしらないけど、たとえ一人にでも「真実」として、曲げられることなく伝わればいいなあと思う。やっと、1年も経って、書けるようになったんだよ。

きっかけは、つい最近、たくさんの人が震災で死んだ17歳の女子が携帯に残したパパ宛の遺書をFacebookでシェアしていて、それを目の当たりにしたこと。

その遺書は確かに、ぐっと俺の心をわしづかみにするものだよ。俺も子供いるし。

で もな、俺は、あの文書をたくさんの人間が嬉々として「シェア」しているのをみて、「あーこいつら愚民はホント、3.11から何も進化しねえまま、1年を迎 えるんだな、日本って足踏みしたまんま何も変わってねえな、愚民は政治ばっかり非難して自分たちはまったく進歩しようとしてねえな」と、直感した。

福島県人も宮城県人も岩手県人も、被災者も東京に住んでるヤツも、同じように嬉々としてシェアしている。

シェアして何がそんなに嬉しいんだ? 自分が「嬉々として」シェアしていることすら、気づいていないんだろうが。

なぜそんなに「知ってほしい」んだ?

特に被災地側の人たち。「震災を忘れないでほしい」という一念かい? それは何だ?あわれみをかけてほしいのか?

東京に住んでるヤツとか、被災しなかったヤツらは、なぜあれをシェアするのだ? 善人気取りか? 被災してねえくせに「自分は忘れない(忘れてない)」ことをアピールしてるのか?

それとな、何で被災関連だったらシェアを許されるんだ? 被災と関係ない「事件」だったらそんなに垂れ流すもんじゃねえだろ、人の遺書をねずみ講みてえにシェアしてゆくかよ。

あー書いてて腹たってきた。結論:人の不幸を嬉々としてシェアするんじゃねえよ。どいつもこいつも。
震災だからって何もかもが許されるわけはねえぞ。

「もっと多くの人に認識してほしい」と? で、それはなぜ? なぜ押し付けられなければならんの?

「東日本大震災」っていう「事象」はほぼ国民全員が「認識」してんじゃねえの? なぜ国民相互がこれ以上傷口に塩を塗りこむようなことを互いにするのだ?

「善意の隠れ蓑」っていうのはホントズルいし、キタナいし、巧妙だ。

2015年7月13日 (月)

すぐ辞めちゃう気満々なヤツを採用することを渋るのが何が悪いの?

http://blog.goo.ne.jp/strikegold/e/c22c67b4f80a641ca16b2c9affd5102a
特にバブル崩壊以降だけどさ、企業が、大卒女子の採用を、「寿退社前提だろうから」とシブったのは、いったい何が悪いのだ?

だってさ、早けりゃ2年、遅くとも7~8年でやめちまうんだよ?
そんなヤツら雇おうと思うか? オレが社長ならイヤだな。

そんな人たちをサルベージしてあげよう、というかさ、行政が介入して採用せよっていうほうがおかしいじゃない。それどころか、そういうやめちまう女性がもどってきやすい環境を整備しろ、もどってこないのであればオマエらが悪い、なんていわれちゃうんでしょ? 会社側が。

今考えれば、会社側に同情を禁じ得ない。

だって、どんなにこの国で女性の労働環境が向上したところで、やめちまうヤツはやめちまうんだから。

2015年7月12日 (日)

ハウスダスト騒動 ってどこいったんだよ

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11850775392.html
10年前ぐらいに、ハウスダスト!ですっげえムカついたのを、なぜか思い出したw

ハウスダストがアレルギーの元!みたいな論説がね、流行ったんだよね。
でさ、ウチの家内もすぐ流行に飛びつくもんだから、そうか、だから長男の喘息が出るのか!とか、大騒ぎしてたんだけど。。

騒いだだけで、ほぼ何もしなかった!
ハウスダスト退治したいんなら、毎日そーじすりゃいいじゃん! 対応方法が面倒くさいとわかると、何かと言い訳してやらない。

ホント、バカ丸出し。。

ハウスダストの一番の敵はね、「掃除しずらい家」なんだよ。
具体的にいうと、雑然としてる家。もっというと、雑然としてることを良しとする方針の家。

それがまさに、家内の方針。

たとえばね。。いわゆる「棚」といわれる至る所に小物をおきたがるわけ。
そのほうがお洒落だと思ってんだかなんだか。。

小物を置くのは勝手だが、たまにホコリ払えよバカ!!!!
それがハウスダストだっての!!!!!!!!!!!!!!!!

フラットな棚に小物をおくと、掃除が面倒くさくなる。それはわかる。
家内はハウスダスト撲滅より(間違ってる)部屋のオサレをとったわけ。

当時家内のあまりのバカさ加減に、あきれた。

ハウスダストは昔もあったし今もあるに違いないのだが、長男の喘息は出なくなった。それはなぜだ?
とかさ、PDCAをやんないから。一時の流行に飛び乗るだけだから。

で、オレはといえば、ずーっっっと!!!! ハウスダスト退治は続けている。続けている。
ハウスダストは永遠になくならないことは知っている。でも続けている。
なぜなら、オレの掃除の真の目的はそこにないからだ。(アタリマエだろ!)

2015年7月 6日 (月)

現実をみろ、というけどサ

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11848248915.html
何十回となくいろんなところに書き散らしていることだが、オレは、「何かしなきゃ」のベクトルがいきなり世界とか発展途上国とか地球環境とかにいってしまうヤツら、および団体すべてキライだ。

そういう方面は「選ばれた人」がやらばいい話で、自薦でいくとこじゃない。愚民、あるいは愚民の集団(イコール「烏合の衆」)がいったところでどうにもならん。

ガキの頃から現実をみろといわれてきた。それが大ウソだったってことはオトナになってからわかったけど。

そこの、現実をみろと他人に命令してるヴァカな人!
アンタその前にさ、自分んちのトイレのフチが実はものすごくキタナいとか。。
風呂の排水口が実は詰まる寸前で異臭を発してるとか。。
開けた瞬間に雪崩になりそうなぐらい押入れにモノを詰め込んでるとか。。

テメーがみなきゃいけない現実って、そういうとこだろ? オレら愚民がさ。そう思わん?

なんでいきなり「チキュウカンキョウ」なんだよ。エコかぶれが!

でな、身の回りの現実を「みる」だけじゃなくて、実践すんだよ! キタナいところはフタをせずキレイにするんだよ!! 誰かにまかすな! テメーがやれ!

その、第一歩、「実践」が、億が一の確率で、世界を動かすかもしれんぞ。ただし、現実を「みる」だけじゃ何も動かんぞ。知らんのか? 「みる」だけじゃ何も動かないってことを知らない(というか目を背けてる)ヴァカが多すぎる。
ツイッターに書き込んだところで「実践」にはならんぞ。

チキュウカンキョウについて語るだけのバカより、家の掃除を実践する凡人のほうが何倍もエラい。前者は、家の掃除とか「オレサマがやることではない」と思ってるからな。
そのムダな選民意識はいったいどこから生まれたのか。。

「世の中」とか世界とかチキュウとかを「みる」(だけ)資格が発生するのは身の回りを「キレイに」してるヤツだけだ。だから、そこに自由なんかない。

「子育て」とかな。。

2015年7月 5日 (日)

ナイフで鉛筆なんか削るかよ。

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11851847138.html
もうこのご時世で、21世紀もゆうに10年が過ぎて、「鉛筆をナイフで削れない子供が多くなってきた!」なんて目くじら立てて騒いでるバカな教育関係者はさすがにおらんだろ。

オレはもちろんのこと、今相当年配の人でも、鉛筆をナイフで削るなんてできんぞ。

だって相当な昔から鉛筆けずりって家にあったでしょ、ふつーに。
(あの、ぐりぐり回すやつね)

オレがガキの頃、つまり35年ぐらい前はまだそういう言説が健在でな。。その時代の年寄りが、今の子供らは鉛筆をナイフで削れない、不器用になってきた、なんてホザいてたっけ。
みんな死んだけど。

かたや亜米利加様礼賛のクセに! かの合理主義国家はとうの昔に、電動鉛筆けずりを使っていたのに! そういう合理主義を礼賛してるクセに自分の国の子供にはビンボーな時代と同じようにナイフで鉛筆を削ることを強要するバカども。

オレらがシャーペン持ち始めるとすわ!糾弾をはじめるバカども!!! 鉛筆を守れ、文化を守れ、と。。
あー、ホントそういう世代がいなくなってよかった。せいせいした。
オレ、根に持ってるからね悪いけど。

当然そういう自分はナイフで鉛筆なぞ削らん。たぶんオトナは鉛筆なぞ使うか!なぞとうそぶいていたのであろう。
とにかくヒドかったのが亜米利加礼賛。今考えるとね。

オレさあ、ちょっとマセてたのもあるけど、ガキの頃にそういうくっだらねえオトナたちの欺瞞は見抜いてたからね。
ホント「うすっぺらい」オトナだなあ、ってね。

そういうヤツらが反面教師でよかった。。

と思っているのだがしかし!!

そういう世代は撲滅した(っていうか自然に亡くなっていった)のに、その遺伝子を受け継いでるバカがうようよいる。
テレビをどっぷり見てアタマクサりかけてるくせに、コンピュータが出てくると「けしからん」ケータイが出てくると、スマホ、etc。。

オマエらはけしからんしか言えんのか!

オレはそういうヤツらの薄っぺらさはよーーく知ってるから、そういうヤツらって、ブームの終わりぐらい、安定化に向かおうとしている頃に、「言い訳しながら」文句いっていたギアを使い始めるんだよ。
だったら最初から使えヴォケが!!!そして、屈服して使うとき言い訳すんな!! 最後っ屁で文句言うな! 「ホントウは持ちたくなかったのだが孫が使えというので」とかな。。死ね!!!!

オレ、そういうヤツらって心から軽蔑してるからね。

« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

ツイート

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ