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2015年5月15日 (金)

「人生変わるから」

http://tatsuzawatokyo.blog.fc2.com/blog-entry-838.html
社会の暗部を知らない人種を、社会の暗部を「知ったかぶり」して受け売りしかできねえヤツらが、「世間知らず!」と小馬鹿にする。そういう構図。

間違っとる。

まあひとつの例でいえば、震災直後に好奇心で車飛ばして津波に遭った現場をみてきたヤツらは、例外なく「人生変わった」といった。
で、その中の多くのバカは、自慢げに「オマエもいったほうがいい、人生変わるから」と言った。

なんで自慢げなのかわからんが。。オレが糾弾したいのはそういうヤツらだ。車飛ばして現場を見に行く、までは許される。いや、その行動力は賞賛されるべきだ。
問題なのはその後の行動だ。
社会の暗部を「知ったかぶり」する! まるで何もわかっちゃいないくせに!!

まぁでも、そういう知ったかぶりたいヤツらは、人間としてレベルの低いことを自ら露呈してるだけだからほっとけばいいと思う。
「人生変わった」とかいってるヤツにかぎってなーんも変わっとらんよ。

さて。。なんか最初にオレが書きたいことからズレてきた。

幸せに生きているように見える人がいるとするじゃん。
一方、平凡に生きている人種がいる。幸せそうにはみえないが、平凡、みたいなね。

平凡に生きているヤツらがね、平凡を脱するための起死回生の一手としてなぜか、社会の暗部をみようとするわけよ。

でね、得意の「知ったかぶり」で、見ただけでほんの少し自分は平凡じゃなくなったかな?なんてカンチガイしやがって、それで何するかっていうと、

どうも幸せそうに見える人たち、そういう人種をちくちくと攻撃し始めるわけさ。
「オマエら、それでいいのか?」と。

30年前は「カンボジアの難民をみろ!子供たちが1日に●●人死んでいくんだぞ!」と。

今考えればだから何なの?と。いや、なんでてめえに言われなきゃいかんのよって話。

それはただの嫉妬であった、ということに気づいたのはだいぶ後なんだよ。

たとえばインドを1ヶ月ぐらい放浪してきたヤツが、日本で、郊外の庭付き一戸建てにへばりついて、絵に描いたようなリーマン生活をして、ほのぼのと生きているヤツらを見下すようになる。「世間知らず」と。
フザケンなよって。
そういうヤツはテキトーにしか働かない。日本の労働環境に対して文句ばっかりいいやがる。

なんか長くなってきたから、結論を書くと「幸せになったもん勝ち」なんだよね。

たとえばコソボの現状を見てくるのだって、それが自分の幸せにつながっていくんだったら別にいいんだよ。日本ってなんて平和で素晴らしいんだろう、っていう感情に支配され、自分はこの惠に感謝してしあわせに生きよう、という思いを強くするんなら別にそれでかまわない。

コソボの現状をみてきて、日本は平和ボケしてる!紛争地域の現状を見よ!ってアピールしはじめるヤツが、バカ!
バカが増えてきてる。いや違う。バカが減らない。

日本は平和ボケしてる、っていうのは事実だろ。そんなの黙っときゃいいんだよ。

話は飛ぶが高橋是清は当時の日本の細民、最底辺層の生活を理解してたかよ。してねえだろ? してなくとも名宰相と呼ばれることは可能なんだよ。
むしろ、そういう最底辺の生活をみてたらジャッジメントに迷いが入って名宰相とはよばれなかったんじゃねえのか?

ま、最終的には殺されちゃったわけだが。。それは細民に殺されたんじゃなくて将校だから。

たとえは、イマイチだったな(笑)

オレはとにかく、海外かぶれにムカシから違和感を感じていたんだけどその理由はここにあった。戻ってきてからの発言が、くだらねえんだよ。上からだし。
くだらねえ発言ばっかりするようになるから、尊敬できない。

「かぶれ」はゼッタイに尊敬できない。

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