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2015年3月18日 (水)

孤立を恐れず

http://tatsuzawatokyo.blog.fc2.com/blog-entry-637.html
今の時代の、この国においては、ある程度の「罰」として(ブタ箱に放り込まれない程度の)、いわゆる「村八分」状態っていうのがあるよね。
精神的 なもの? つーかね、ロコツに村八分ってなかなかできないからねえ。とある「標的」に対して付き合いをますます表面的なものだけにしてゆく。そして、陰口 をいう。陰口をいってるのだ!ということをうっすらと当事者にわかるよう仕組む。ウラでわざとデカい声でいったりね。

いくらこの国がいい国だといってもこういう気質は大キライだ。

「罰」として、とある個人あるいは家族を「孤立」させてゆくという手段をとるわけね。
まぁ でも、とある共同体では孤立しているのかもしれんが、一歩外に出ればそんなに孤立してないんだけど。だって、今の時代、閉鎖的なムラに住んでるわけじゃな いんだからさ。とある住宅街に住んでるとか、マンションとか、そのコミュニティに属してはいても、外に出ることはいくらでもできる。

庶民(著名人でない)であれば、その街とか、都市で完全に孤立するということはありえない。
言い方を変えれば個々の存在自体がすでに孤立しているともいえるのだが。。ま、そのハナシはおいとこう。

なぜそれが罰として成立しているか。というと、それ(孤立)を恐れる人間がこの国にあまりに多いからだろう。
で もさあ、第二次世界大戦直前のニッポンみたいにさ、「ナマイキなイエローモンキーをこらしめてやれ」っていう理由だけで石油とかを封鎖されちまったら確か にそれは「孤立」だけど、さっきも書いたように現代社会では近所のバカどもにシカトされたところで、となり町のスーパーにでもいけば、餓死はしないだろ う。そりゃあ100年前に東北の山村だったら、村八分イコール食料ルートを絶たれるということだからな。近所づきあいも命がけだよね。

子供もさ、そんな人間のクズがいる町の公立学校に通わすんじゃなくて隣町に通わすとか、私立にいれるとか、いろいろ策があるだろう。で、家族もろとも交友関係を隣町に移行していけばいいんだよ(あくまで、たとえ話ね)

あ、そうそう、引っ越せばいいんだよね、そもそも。民度の低いDQNが暮らす町で、一緒の空気を吸う必要は毛頭ねえんだよ。外に出ることを恐れるんじゃなくて、自分がそういうDQNに染まってゆくことを恐れないとね。それは、致命的だ。

何が言いたかったかというと、選択肢があるのはいい時代だよねえ、と。。
いやいや、そういうまとめ方をしたかったのでは、ない。

「孤立を恐れず」という選択肢も、あるんだよ、と。いわゆる、正しい意味での個人主義だよね。
個人で闘う。(闘うときは、ね。年がら年中闘ってちゃダメだよw)
要は、覚悟が必要なんだよ。

孤立を恐れない存在になれば、コミュニティで村八分あるいはそれに近い状態になると、けっこううれしいわけでしょ。(マゾw?)
それを望んでる、ぐらいの。逆にまったく干渉されなくなって、その町が暮らしやすくてしょうがない、みたいなさ。
いや、極端にいえば、だけどね。

そういう存在には一発逆転がある。コミュニティに依存してるヤツらははっきりいって権威主義だから、「お上」なりタレントなりのオピニオンが、孤立している存在とオーバラップしてくると、とたんに馴れ馴れしくなってくるから。
わかるでしょ? わかる人には。

逆にね(実際「逆」かどうかは自信がないが)そういうプチ「罰」を受ける理由そのものがさ、集団に同調しないから、っていうことなんだよねえ。
孤立を潜在的に求めるヤツらってのは必ず一定数いてさ、そういうヤツは集団に同調しないから当然罰をうける。孤立を求めるヤツら(というか、そういう人間になれば)は、孤立を求めているのだからその「罰」を罰とも思わない、というかね。

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