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2014年10月 3日 (金)

なんでオレが世界中の不幸抱え込まにゃあかんの。

なんで、オレたち庶民が、世界中の不幸を気に病まなきゃならんの? っていうのは、ず~~っと思ってることで。似たようなことを何度か書いていると思うけど。

 

メディアが発達しようがしまいが、関係ないと思うんだよね。

 

ボランティアで世界に出ていくヤツがなぜノーチェックで賞賛され、町工場で地元にへばりついて働いて夜は地元のスナックでくだまいてるヤツが賞賛(とまではいわんが、感謝)されないのか。

 

地元っつーか日本に税金を納めることを放棄した(あるいは放棄したくてしょうがない)ヤツが脚光を浴びるのか。

 

 

オレという人間の「重さ」なんだよ。それは相対的なものであってね。

 

オレは家族にとってはかなり重要な存在。親類にとってもそう。ご近所にとっても、けっこうそう(なはず)。

だが、オレが「世界」(っていうよくわからない単位)に飛び出ていったらオレの存在はただのケシ粒になる。

 

なんかさー、一人一人の存在はちっぽけでもそれが集まるとすごいパワーになる、とかいうけどさ、ホントかよ。愚民が何千万人集まったところで、ゼロはゼロだって。

 

それにしてもなんで、いわゆる「地元」で満足感を得ることができんのかね。

なんで「力になりたい」とかさ、かなり「遠いところ」に対して思ってしまうのかね。

 

そんなことより近所の草むしりでもしやがれ!家の掃除しろ!!

なんでそれでは、ダメなのだ?

 

という意味ではテレビとかネットとかってかなり「罪」の部分はあると思うんだよなあ。

庶民を愚民にしてしまうという意味でな。

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